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歴史に関するi196のブックマーク (20)

  • 狭山市と入間市はなぜ名称が入れ替わったのか|ゴケゴーちゃん@YouTube台本

    入間市立狭山小学校 狭山市立入間小学校、跡地 狭山市と入間市はなぜ自治体名が入れ替わってしまったのか、今回はこの不思議に迫ります 昭和52年発行の書籍、狭山市の項にある記述です この地方は万葉集では伊利麻路、和名抄では伊留未と書かれ入間の地名の発祥と言われた土地である。それが昭和29年、市政を施くに当り、なんと思ってか狭山市を名乗ってしまった その後、狭山地方で狭山茶の産地が、やむを得ず入間市を名乗ったので、もう永久に市名が固定するであろう。入間市と狭山市は、おたがいに市名を交換すべきであるが、今となってはそれは困難なことであろう(抜粋) 私の思い込みではありません。狭山市と入間市は名称がアベコベに付いています それでは!文字になっている歴史ではないので妄想も交えながらになりますがさほど外してはいないのではないかなと思います。どうぞ最後までお付き合い下さいませ まず言ってしまいますが 狭山

    狭山市と入間市はなぜ名称が入れ替わったのか|ゴケゴーちゃん@YouTube台本
    i196
    i196 2025/05/25
    西武線住民の自分でも、あの辺の地名は確かに分かりづらい。経緯が凄く面白かった。良い読み物だったなぁ
  • 歴史を知らない人は嘘と思うかもしれないが、中世には既に高層ビル街が存在した

    大西巷一:新連載準備中 @kouichi_ohnishi 興味を引かれたのでちょっと調べてみた。以下の記事によると12~13世紀頃ボローニャには180基ほどの塔があったらしい。すごいな。富裕市民のステータスシンボルとして競って建てられたが現代では20基ほどが残るのみとのこと。amusingplanet.com/2017/08/the-to… pic.twitter.com/ygQUXpJB7K twitter.com/takasciello/st… 2020-12-10 14:41:22

    歴史を知らない人は嘘と思うかもしれないが、中世には既に高層ビル街が存在した
    i196
    i196 2023/04/12
    高層ビル街というタイトルは釣りすぎだろ笑
  • 年上の妻と結婚した歴史上の偉人

    ・ツタンカーメン 7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。 ・ムハンマド 25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。 ・円融天皇 12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した ・堀河天皇 中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。 ・藤原道長 2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。 ・一条天皇 皇后は3歳上の定子。教養人であった二人の仲は良好であった。 ・後一条天皇 9歳上の中宮威子以外のを娶

    年上の妻と結婚した歴史上の偉人
  • エリザベス女王死去 世界から追悼の声相次ぐ【詳しく】 | NHK

    イギリスの君主として歴代最長となる70年にわたって在位してきたエリザベス女王が8日、96歳で亡くなりました。 女王の死去を受けて即位したチャールズ国王は、ロンドンのバッキンガム宮殿に戻り、多くの人が出迎えました。 国際社会からは女王の功績をたたえ、追悼する声が相次いでいます。 国内外の反応や動きを詳しくお伝えします。 エリザベス女王死去後初の週末 宮殿前で大勢の市民が追悼 イギリスのエリザベス女王の死去から初めての週末を迎え、ロンドンのバッキンガム宮殿の前には、家族連れなど大勢の市民が集まり、追悼する姿が見られました。 9月8日にエリザベス女王が亡くなってから、初めての週末となる10日、ロンドン中心部のバッキンガム宮殿の前には、朝から花束を手にした大勢の市民が集まっていました。 そして宮殿の門の前や宮殿の近くの街路樹のもとに、花束を手向けたり、「私たちの女王、愛しています」など書かれたメッ

    エリザベス女王死去 世界から追悼の声相次ぐ【詳しく】 | NHK
  • 「MacはLinuxだった」って本当? 「そうだね……」元Mac雑誌編集者は昔語りを始めた

    MacLinuxだった」って当? 「そうだね……」元Mac雑誌編集者は昔語りを始めた:ヤマーとマツの、ねえこれ知ってる?(1/4 ページ) 経歴だけは長いベテラン記者・編集者の松尾(マツ)と、幾つものテック系編集部を渡り歩いてきた山川(ヤマー)が、ネット用語、テクノロジー用語で知らないことをお互い聞きあったり調べたりしながら成長していくコーナー。交代で執筆します。 マツ 「MacLinuxだった」という趣旨のツイートが話題になっていて、ああそういうこともあったなあ、と思い出したので、ちょっと昔語りしようかなと。茶でも飲みながら。 ヤマー 私は紅茶を用意してきます。 戻ってきました。macOSは何がベースになっているかって話ですよね。 マツ 結論から言っちゃうと、現在のmacOSはUNIX系列のOSではあるけど、Linuxではないです。macOSのベースになっているのはDarwin。

    「MacはLinuxだった」って本当? 「そうだね……」元Mac雑誌編集者は昔語りを始めた
  • 「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見 | 毎日新聞

    宮崎康平氏が「からゆきさん」をインタビューした際に録音したテープ。「からゆきさんの話(1)」と書いた紙が貼られている=内嶋善之助さん提供 「一日一晩のうちに、49(人と)したよ……」。16歳の少女は、船底で汚物にまみれて海を越え、見知らぬ異国で春を売った。幕末から明治、大正にかけ、貧しさから海外に渡り、娼婦(しょうふ)として働いた女性「からゆきさん」。その一人が約60年前、その過酷な体験を赤裸々に語った約12時間分の肉声がテープに残されていた。からゆきさんが自らについて語ったり書き残したりした史料はほとんど残っていない。この女性はシンガポールで裕福なイギリス人に身請けされ、たくさんの宝飾品を贈られて「ダイヤモンドおなご」と日人の間で呼ばれた。30歳半ばでホテル経営に乗り出すほど成功したが、帰国後、だまされてほぼ無一文になるなど、波乱に富んだ生涯だった。しかし、海外に渡った女性の存在は地元

    「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見 | 毎日新聞
  • 絶対の正解求める危うさ 歴史学者・呉座勇一氏 令和の知をひらく(4) - 日本経済新聞

    人は歴史好きといわれるが、大人になってから学び直す機会は少ない。歴史に材を取った小説やドラマも古い学説にのっとっていることが多く、最新の研究成果が一般の人まで届いていないのだ。●「意識の移植」が問う倫理 脳科学者・渡辺正峰氏 令和の知をひらく(1)●ネットの「無」に抗う時 作家・上田岳弘氏 令和の知をひらく(2)●他者の性と欲望認める 哲学者・千葉雅也氏 令和の知をひらく(3)大学で教え

    絶対の正解求める危うさ 歴史学者・呉座勇一氏 令和の知をひらく(4) - 日本経済新聞
  • 将来教科書に載る平成の出来事

    僕たちはかつて社会の教科書などで、明治維新や貿易摩擦など当時起こったこと実感を得ず知識として学んだ 平成が終わった今、将来教科書に載るであろう出来事や人物はどんな内容になるだろうか

    将来教科書に載る平成の出来事
    i196
    i196 2019/05/20
    そもそも今の教科書にどこまで載ってるのか知らなかった問題
  • 続日本100名城巡りを始めたら、新たな城の扉が開かれた :: デイリーポータルZ

    「日100名城」というものが存在する。全国に数多く存在する城のうち、2006年に財団法人日城郭協会が定めた100の名城だ。 各城にはスタンプが置かれており、スタンプラリーが可能である。私は2008年から10年かけて全てを周り、その道のりを記事にした。→「日100名城を全制覇したので自慢させてください」 コンプリート間際の2017年、日100名城に続く「続日100名城」なるものが定められた。それに伴い新たなスタンプラリーが開始されたのだが、正直言って私はあまり乗り気ではなかった。 しかし、最近になってついに続100名城にも手を出すことになったのだが、そうしたら私の中で新たな城の扉が開かれたのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30

    続日本100名城巡りを始めたら、新たな城の扉が開かれた :: デイリーポータルZ
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    i196 2019/05/14
    古宮城、俺にはただの森のようにしか見えない…マニアックだわ
  • 文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か

    久々にビッグな研究不正のニュースktkr! ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます。 今回調査委員会が被告発者に求めたのは、以下の項目でした。 カール・レーフラーの実在を証明する一次資料の写しと説明文書カール・レーフラーの論文「今日の神学にとってのニーチェ」の実在を証明する一次資料の写しと説明文書トレルチ家に属する借用書や領収書等の実在を証明する一次資料の写しと説明文書この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料そのものを調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか? 歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます。 そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのかこれは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学と哲学と社会学と人類学と歴

    文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か
    i196
    i196 2019/05/11
    皆ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…
  • シマウマに騎乗できないのはなぜ? 数百万年続く、シマウマと人間の確執 | ログミーBusiness

    なぜシマウマは人間に恐れを抱くのか?お気づきかもしれませんが、シマウマは馬にとてもよく似ています。シマウマも馬も同じ馬の家族で、掛け合わせた交雑育種の「ゾース」という動物も存在します。 しかし、こんなに良く似ているというだけで、騙されてはいけません。生物学と進化のおかげで、私たちはシマウマに乗ることができません。これは美しい、シマシマの壮大な罠なのです。 考古学的証拠によれば、人間は少なくとも5500年にわたり馬の調教をしてきました。しかしシマウマと人間の関係はそれよりずっと前にさかのぼります。 人間とシマウマはアフリカで共に進化し、何百万年にもわたり共に生活してきたのです。それゆえにシマウマに乗ることが難しくなったのです。人間はシマウマと共にずっと過ごしてきましたが、相性が良かったからというわけではありません。 人間は昔、シマウマを物として捕らえ、それ以外の何物でもありませんでした。人

    シマウマに騎乗できないのはなぜ? 数百万年続く、シマウマと人間の確執 | ログミーBusiness
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    i196 2019/05/07
    弱いイメージしか無かったけど、意外と危ないヤツなんだな
  • 【特集】 追悼ボールマウス ~Amazonからボールマウスが絶滅した日~

    【特集】 追悼ボールマウス ~Amazonからボールマウスが絶滅した日~
    i196
    i196 2019/05/07
    懐かしい。掃除すると劇的に使用感が良くなるのよな
  • 天皇陛下 最後のおことば 全文 | NHKニュース

    今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。 ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。 即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。 明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

    天皇陛下 最後のおことば 全文 | NHKニュース
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    i196 2019/04/30
    こんなにずっと「善」であられたことが凄い。本当に感謝。末永く健康で幸せであって欲しい
  • 八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか

    八幡氏は 呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっているとは言い切れない と述べる。 こういう誤解をしている歴史愛好家は非常に多い。私が大学院生の頃、定年退職して大学の聴講生として日史学研究室に出入りしている方がいた。その人は「歴史なんてものは若い人には分からない。人生経験を積んでこそ分かるのだ」と主張されていた。だがもちろん、大学院生の方がその方より史料が読めるし知識もあるので、みんなで色々と指導するのだが、自分の息子や娘より年下の若造たちに指図されるのが癪に障ったようで、そのうち姿を見せなくなった。 当時の私は「困ったお年寄りだな」と思っていた。けれども今にして思

    八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか
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    i196 2019/03/26
    毎度スジが通っていて読んでいて気持ちが良い。著作を読んでみよう
  • 在野の歴史研究家に望むこと

    週刊ポスト(3月15日号)誌上での井沢元彦氏の公開質問状に対して、私が今週発売の29日号で反論した。これに対して評論家の八幡和郎氏がまたまた感想をアゴラに寄せている。 呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか? 上記記事で八幡氏は私の反論文について「素晴らしい出来である」と述べている。お褒めいただいて恐縮だが、八幡氏は以前にアゴラ上で発表した記事で そして、井沢氏は「安土宗論八百長説」、つまり、信長の前で浄土宗と法華宗の間で行われた宗論について信長が最初から法華宗を負けさせるつもりだったという通説が自分の問題提起をきっかけに学説も修正されたことを指摘しているが、これには一理あるだろう。(「週刊ポスト」で井沢元彦氏が呉座氏に公開質問状) と述べている。井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである

    在野の歴史研究家に望むこと
  • 天皇陛下おことば 全文 | NHKニュース

    在位30年に当たり、政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。 即位から30年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。 平成の30年間、日は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。 世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。 島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではない

    天皇陛下おことば 全文 | NHKニュース
    i196
    i196 2019/02/24
    人格者だなぁ。決して上からという態度を見せない姿には学ぶべきものが多々ある
  • 戦争責任「言われつらい」 晩年の昭和天皇が吐露 - 日本経済新聞

    昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と漏らしたことが、元侍従の故小林忍氏の日記に記載されていることが分かった。共同通信が22日までに、小林氏の日記を入手して判明した。日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に

    戦争責任「言われつらい」 晩年の昭和天皇が吐露 - 日本経済新聞
    i196
    i196 2018/08/24
    人間であれば当然の感情だろう
  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
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    i196 2018/08/17
    これはこれで一つの視点ではあるのだろうけど
  • あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き(平井 美帆) @gendai_biz

    ソ連軍侵攻から敗戦へと「満州国」が崩壊した後、暴民の襲撃、ソ連兵の強姦などによって、日人開拓団は追い詰められていった。そのとき、逃げ場を失った集団を守るために、ソ連軍上層部らの「性接待」役として差し出された乙女たちがいた――。 70年の歳月を経てその重い口を開いた彼女たちの告白を、ノンフィクション作家・平井美帆氏が綴る。 (前編はこちらから https://gendai.media/articles/-/52608) 口を閉ざす人々照子さんは八路軍(のちの中国人民解放軍)によって留用され、1953年に日へ帰ることができた。看護婦として働かされた漢口の陸軍病院では、兵士の誤射によって被弾し、左足に傷跡がうっすらと残る。八路軍の幹部は、「日人は女を出した」と黒川開拓団の性接待を知っていたという。なぜ、あんなことをしたのか……。八路軍兵士からそう言われたことが照子さんの胸に深く刻まれている

    あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き(平井 美帆) @gendai_biz
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    i196 2018/08/16
  • ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白(平井 美帆) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

    敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。 そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。現地の暴民による襲撃、ソ連兵による強姦や略奪から集団を守り、料を分け与えてもらう代わりに、ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを「性接待役」として差し出したのだ。 犠牲となった「彼女たち」は、日への引き揚げ後もこの忌まわしい記憶をずっと胸の内にとどめていたが、70年が経ち、その重い口を開いた――。ノンフィクション作家・平井美帆氏の特別寄稿。 託された詩忘れられない詩がある。後半のカタストロフィーと対比を成すかのように、詩は明るい朗らかな一節からはじまる。 ≪十六才の 春の日に 乙女の夢を 乗せた汽車 胸弾ませて 行く大地 陶頼昭に 花と咲く≫ 「乙女の碑」と題された詩を書い

    ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白(平井 美帆) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
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    i196 2018/08/16
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